あなたが上手く話せないのは最近に限ったことですか?それとも、物心が付いた頃にはすでに話下手を自覚していましたか?
もし、最近言葉が上手く出てこない、しゃべろうとしていたことを忘れてしまうというような症状がある場合、それは長時間のスマホ利用が関係しているかもしれません。
リリー
これに限っては、スマホの利用を制限して脳を休ませてあげる時間を取ることによって改善することができます。
>>>もっと詳しく知りたい!
「上手く話せない!」言葉が思うように出てこない原因は?
しかし、病気、特にメンタル面の強いストレスが関係している場合は改善は一筋縄では行かず、上手に付き合っていくしかありません。
リリー
- 上手く話せないことに悩んでいる人
- 物心が付いた時にはすでに上手く話せなかった人
- 幼少期に大きなストレスを受けたことが上手く話せない原因かもと疑っている人
- 吃音がある人
上手く話せないのは心の病気?
以下の内容はあくまでも考察であり、自分の至らない点を責任転嫁しているわけではありません。幼少期のストレスが子供の脳に与える影響を30数年経った今、なるべく客観的に見ていきたいと思います。
リリー
私はもともと不安になりやすい気質を持っていたのか、環境の変化への適応能力が著しく低い子供でした。
幼稚園入園と同時に口を閉ざし、必要があるとき以外自分から誰かに話しかけるということはありませんでした。
そんな状態での小学校入学。
ここでは詳しく書くことができないのですが、私は担任教師からクラス内で理不尽な扱いを受けることになりました。
リリー
その行為は、教師にとってはあくまでも『正義』。
なので、その枠から外れた私は異端でしかなかったのです。
現在では教育者の感覚もだいぶ変わってきていて、人と違うことを「異物」のように扱うことはなく、1つの「個性」として尊重されるようになってきていると思います。
しかし、私が小学生だった30数年前は(年バレる…汗)集団になじめない子供は否応なく劣等感を植え付けられてしまっていたように思います。
教師が正論を振りかざし、クラスメイトの前であからさまに1人の人間を注意するようになると、その後何が起こるか、なんとなくお分かりいただけるかと思います。
教師の歪んだ考えを「正義」と思った一部のクラスメイトが、罪の意識を微塵も持つことなく私を攻撃してくるようになったのです。
さすがに私は女なので、暴力的な扱いを受けることはなかったのですが、授業中は数人のクラスメイトに行動を監視され、私が少しでも逸れた行動を取ろうものなら即行で担任にチクられるような状態。
リリー
小学生になってまだ1、2年の未発達な脳です。
様々な良い刺激を受けて感情を豊かにしなければならない時期だったと思います。
しかし、私の中には喜びもなければ怒りもなく、ただただ得体の知れない不安ばかりが増幅していきました。
毎日息をひそめるような生活。
人と話すことも話しかけられることも不安。
けれど、思考が半分停止しているような状態なので、私には「学校に行きたくない」という意志もなければ、「この状況からラクになりたい」という考えも生じませんでした。
リリー
状況が一変したのは、学年が上がってクラス担任が変わったときです。
幸いにも新しい担任は私の他人とは違う点を「個性」と捉えてくれる人でした。
しかし、心が育つ多感な時期に抑圧された経験は、その後の私の人生に大きな影を落とすことになりました。
気が付いたら上手く話せなくなっていた
ツイッターではさりげな~く告白しているのですが、私は吃音持ちです(未診断)。
私は少し吃音があるため、思っている言葉がスムーズに出てきません😖
家族とリラックスして話しているときの方が症状は強く出てきます。
でも、子供達は急かしたり苛立ったりせずじっと私の言葉を待っていてくれる。
そりゃあ、命に変えてでも守りたいって思うよ…😭#子供大事 #吃音
— リリー@人見知りブロガー (@lilybaumlife) October 1, 2019
学校ではほとんどしゃべらなかったので、自分の話しづらさを意識したのは、おもに自宅でリラックスしているときでした。
感覚としてはこんな感じ。
頭の中に話したい言葉がある
↓
音声として出力しようとするとフィルタリングがかかる
↓
言葉が出てこないことにテンぱる
↓
関連のない言葉の引き出しを開けて、適した言葉を必死になって見つける
↓
見付からない
↓
言葉に詰まって会話のリズムを乱す
↓
散乱した言葉の中からようやく似た言葉を見つける
↓
上手く話せないことへの自己嫌悪
私の言葉への劣等感をさらに強調してしまったのが、母親の接し方でした。
私は3人兄弟の長女。
当時同居していた祖父が様々な事業を立ち上げていたということもあり、家は常に忙しく、大人たちはみんな時間に追われているような生活環境でした。
こういう場所にお嫁にやってきた母親は、言葉は悪いですが、毎日奴隷のように働いていました。
男たちは仕事が終われば家でのんびりしていられます。
しかし、女には家に戻っても自分の時間なんてまったくないんですよね。
私たち子供の面倒を見ながら、夕食の支度をし、朝干していった洗濯物をたたみ、次の日の準備をして…
舅のご機嫌を伺いながらという生活ですから、相当ストレスも溜め込んでおり、父親とは毎日のようにケンカをしていました。
リリー
こういう状況で、わがままな子供たちがまったく言うことを聞かずに兄弟ゲンカばかりしているのですから、普通なら耐えられないですね…。
実際に我慢の限界はたくさんあったはずです。
毎日イライラしながらせかせかと時間に追われていた母親。
私は話を聞いて欲しくて付きまとう。
でも実際しゃべろうとすると言葉がスムーズに出てこない。
「なんなの?早く喋りな。お母さん忙しいんだから」
この言葉に悪意なんてほとんどないんです。
ただ、私が普通の子供よりもデリケートすぎただけのこと。
母親を手こずらせているということに罪悪感を抱いてしまったんですね…。
話したいことは沢山あるのに、それを伝えるためのツールが役立たず。
そのせいで母親が苛立っているという状況に耐えられなかった私は、家では短い言葉しか吐かなくなりました。
リリー
私の兄弟もどちらかというと口下手で、末の弟は私よりもどもりが強かったので(今は寛解)、もしかすると遺伝的な要素もあるのかもしれません。
しかし、こういう幼少期の生活環境がメンタル面に影響し、吃音症状をひどくしていたのではないかと思います。
【母親になった今だから言えること】
- 母親に精神的なゆとりがないと、母親好きの子供のメンタルにも影響が出る。
- 母親1人に重圧がのしかかるような生活環境も子供のメンタルによくない。
- 父親がつねに奥さんの味方でいると、母親の笑顔が増える。それを見た子供は安心する。
リリー
上手く話せない原因まとめ
幼少期に日常的に両親のケンカを見て育った子供は、脳の視覚野の一部が萎縮してしまうという研究結果があります。
私の育った家庭は祖父が絶対的権力を持っていて、祖母も父親も逆らえない状況でした。
ましてや外から来た嫁という立場の母親にいたっては、やることなすことすべてにダメ出しをされるような有様。
私の幼少期の記憶は、祖父の怒号と母親が泣いて抗議する姿、騒ぎを静めたい父親が落ち度のない母親を悪者にして終わらせようとする切迫感、そして、祖母の悲痛な表情で占められています。
おそらくというか、けっこう高い確率で私の脳、萎縮しているんじゃないでしょうか。
でも…。
もう過ぎたことです。
30数年なんとか生きてきました。
ここから先の人生も、様々な山や谷を乗り越えながらなんとか生きていくのではないかと思います。
ということで、まとめてみましょう。
- スマホの長時間利用による脳過労
- 誤った教育による感情の抑圧
- 吃音を持っている子供への精神的なプレッシャーが大人になってもトラウマとして残っている
- 幼少期の家庭不和によるコミュニケーションに対する慎重さ、恐怖心
>>私が対人恐怖になったときの話はこちら
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