人見知り人間は毎日なにに悩んでいるのでしょう?
- 言葉がうまく出てこない
- 沈黙が怖い
- あまり接触のない人との会話は毎回緊張する
- 対人関係に怖じ気づいている自分が許せない
- 疎外感がある
- コミュニケーションが上手く取れなかったことで自己嫌悪に陥る
知り合いに会ったときにあふれるように言葉がスラスラと出てくるのであれば、多少失礼があったとしてもそこまでひどい自己嫌悪に陥ることはないのではないかと思います。
では、言葉がスラスラと出てくるというのはどういう状態なのでしょう?
- 相手に関心を持っている
- 自分に自信がある
- しゃべることが楽しい
人見知り人間のコミュニケーションは自分が中心
人見知りの人の特徴は、関心の向かう先が常に自分です。
- 沈黙ができたら、何の引き出しも持っていないおもしろみのない人間だと思われてしまうんじゃないかな
- どうでもいい挨拶にすら緊張してしまう自分が嫌になる
- 誰も話しかけてこないのは、私がつまらない人間だからだ
- 気の利いた返しができなくて、相手に物足りなさを感じさせてしまったんじゃないかしら
いつもにこやかに自分から話しかけてくるコミュ力の高い人は、高い確率でこんなことは考えません。
なぜなら、自分に自信を持っているから。
自信があるということは、それだけ気持ちに余裕もあるので、冷静に物事を判断することができます。
「今日は○○さん、いつもと雰囲気違うな。そうか、髪を切ったんだ」
そうと知ったらすぐに言葉にすることができるのです。
ところが、人見知り人間の場合は、変化に気付いたとしても話を振ったあとうまく会話を続けられるかが不安で、沈黙に支配されるくらいなら気付かないふりをしておこう、という安易な方向に落ち着こうとします。
自分に自信がないので、頭をフル回転させて自己防衛のシナリオを作りあげてから相手と向き合うんですね。
一方、コミュ力の高い人は会話自体が楽しみの1つなので、色々な引き出しを持っています。
「あれ、髪の色も変えた?」
「美容室はどこなの?」
「ロングもいいけどショートも似合うね」
「へアセットは簡単?」
なぜコミュ力の高い人は1つの事柄について、これだけの言葉が簡単に出てくるのでしょう?
それは、興味の向かう先が自分ではなく相手だからです。
コミュ力の高い人に学ぶコミュ力の鍛え方
とはいえ、コミュニケーション能力の高い人がみんな自信家というわけではありません。
沈黙が怖い人もいるだろうし、話すたびに緊張する人もいることでしょう。
なら人見知り人間との違いはなんなのかというと、
沈黙が起きてしまった
↓
私がボキャブラリーに乏しいせいだ
が人見知り思考だとすると、コミュ力の高い人の考え方は
沈黙が起きてしまった
↓
いつかこの沈黙が気にならなくなるくらいこの人と親密になれればいいな
とあくまでポジティブです。
そのためにはどうすればいいかを考えたとき、コミュ力の高い人なら
明日からガンガン話しかけていこう。この人はどんなことに興味があるのだろう?
ですが、人見知り思考だと
できるだけ会わないように時間をずらしたほうがいいかな…
と現実逃避に走ってしまいます。
なによりも優先すべきは自分の感情なのです。
残念ながら、こういうネガティブ感情は相手にも伝わってしまいます。
なんとなく避けられていると感じ、気分を損ねてしまうかもしれません。
それによって人見知り人間はさらに自己嫌悪に陥ることになるのです。
「あの人、私のこと嫌ってる?でも、あの沈黙は気まずかったけどそれ以外で失礼なことは言っていないはず。いや、もしかしたら自分でも知らないうちになにか気に触るようなこと言ってたのかな…」
いやいや、すべてはあなたの態度ですって…と言いたくなってしまいますね。
逃げるのは簡単でもっともラクな方法の1つです。
しかし、それが原因で自分の首をしめているのなら、そのラクな方法は改めるべきなのです。
じゃあどうすれば人見知りを克服してコミュ力が鍛えられるのか?
先ほども書きましたが、これに限ります。
- 相手に関心を持つ
- 自分に自信を持つ
- しゃべることを楽しむ
人見知りの原因は親?
コミュ障になってしまうのは生まれ持った性質もありますが、幼少期の周りの接し方も少なからず関係してきます。
- 家族が不仲でケンカが絶えなかった
- 親が否定的なことばかり言っていた
- 親が子供の話をせかしていた
- 兄弟間で比較されていた
家族の仲が悪く、日常的に口論や暴力にさらされた生活を送っていると、自己主張を悪いことと考えるようになってきます。
「ケンカをやめて」と言ったらもしかしたらやめてくれるかもしれない、と思う一方で、興奮した大人が攻撃の対象を自分に変えてくることも考えたら、恐怖で行動する勇気も削がれてしまうことでしょう。
ただじっとこらえて嵐が過ぎ去るのを待つ方が無難なのです。
親の否定的な物言いも、子供をコミュ障にする原因の1つです。
「どうせ無理なんだからやらなくていいよ」
「100点じゃなくちゃ意味無いよ」
「どうしてこんなこともできないの?」
「本当にダメだね」
子供に悪いレッテルを貼り付けることで自己肯定感が育たず、なにごとにも自信が持てない人間になってしまいます。
子供の話をせかすのもよくありません。
まだ語彙力が未発達の子供に対して、「で、なにが言いたいの?」「忙しいから早く話しなさい」「意味が分からない」というようなことを言い続けると、過敏な子供の場合は話すこと自体に恐怖を覚えるようになってしまいます。
リリー
自分の思いを聞いてもらえないことほど寂しいことってありませんよね。
言葉は、生物として唯一人間にだけ与えられたコミュニケーション手段です。
そこに恐怖心を感じながら、それでも使いこなしていかなければいけないというのは、言葉に不得意がある子供にとっては荊の道です。
うまく気持ちを言葉として表現できなくても、穏やかに待っていてくれるというのが理想的な大人の在り方なのかもしれません。
そして、きょうだい間でつねに比較されているというのも、人によっては良きライバル関係を築けたとしても、ほとんどの場合は劣等感しか生み出しません。
「長男なのに次男に負けている」
「長男と比べると出来の悪い次男」
こういった比較を言葉や態度で表すことに対して、親に悪意があるかというと、ほとんどの場合が愛情から来るものだと思うのですが、
「発破をかけるつもりで」
「やる気を起こさせるために」
がそのままの意味で子供に伝わることってほとんどないと思います。
子供はつねに「親にとっての一番」でありたいと願っているのです。
双方の気持ちにズレがある以上、きょうだい間の比較は良い融合をもたらすことはありません。
人見知りは克服できなくても改善できる
リリー
幸せ探求者
リリー
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まとめ
自分に自信が持てないのは、自己肯定感が育っていないからです。
人見知りを作り出す土台に、幼少期の環境が少なからず影響を及ぼしていることは否定できません。
とはいえ、時間を巻き戻して…ということは不可能なので、今からなにができるのかを考えていかなければなりません。
まずは友人知人との会話を思い出してみましょう。
- 会話が上手だと思っていた友人が、実は一方的に話しているだけでこちらの話はほとんど聞いていなかった
- スラスラと言葉が出てくる友人がうらやましいと思っていたが、よくよく聞いてみると他人の批判が多い
- いつも楽しそうに笑っている友人だけれど、ただ単に沈黙が怖いだけなのかもしれない
コミュ力が高いと思っていた他人にも、なにかしらの欠点があることに気付くはずです。
しかし、それであなたがその友人を嫌いになるわけではありませんよね。
むしろ、自分だけがマイナス要因を抱えていると思いこむ必要はくなるし、他人にとっても、自分が思い悩んでいることは取るに足らない問題なのだということに気付くのではないでしょうか。
何事においても完璧を求めるのはよくありません。
コミュニケーションで失敗したとしても、「学び」の機会を得たのだと思うようにすれば、復活は早いし、いつのまにか自己肯定感も養われていきます。
ということでまとめてみましょう。
- 人見知り人間のコミュニケーションは関心が自分に向けられている
- コミュ力の高い人間のコミュニケーションは他人への関心が強い
- 人見知りの原因を探ると、幼少期の環境が関係していることがある
- 人見知り人間は自分が傷付かないようにと、周りの様子を過敏なくらいに観察しているので、案外コミュニケーション能力が高かったりする
- 人見知り人間は自分がコミュ力が高いことに気付いていないことが多い
- 完璧を求めず、失敗を「学びの機会」と心得る
リリー